『週休3日宣言ーー恐れながらも、ただそこに居る。』全文無料公開します。
2020年、水曜どうでしょうディレクター藤村忠寿・嬉野雅道が、どんな「緊急事態」を過ごしたか。
考えも行動もまったく違う二人が、水どう最新作の話も交えながら「これからの働き方と休み方」「恐れとの向き合い方」をまとめました(なぜか乱暴に自費出版)
このnoteではステイホームな年末年始にあわせ、嬉野雅道パートを全文、無料公開いたします。
「恐れながらも、ただそこに居る。」嬉野雅道
『水曜どうでしょう』に慰められた
20年以上前、うちの女房に突然「あなたは62歳が寿命だよ」と言われたことがありました。もちろん、なんの裏づけも根拠もない言葉なのですが、「62歳寿命説」はずっと私の頭の片隅に居続けました。
でも去年、還暦のイベントをやっていた頃は、まったく死ぬ気がしませんでした。「62歳に近づいてきているけれど、まったく実感はないな」と。しかし、そうこうしていた矢先の今年、いきなり世界中で感染症が流行しはじめました。
「こんなにドラマチックに来るわけ!?」と、思いました。「あと1年」ということを、けっこう真剣に考えました。今までぼんやりとしていた事柄をリアルに考えだすと、そこには今まで経験したことのない、えもいわれぬ恐怖がありました。
3月末、緊急事態宣言の発令がささやかれていた頃、私は仕事で大阪に居て、その後YouTubeの収録で東京に移動する予定だったのですが、私はその収録をすっぽかして大阪から直接札幌に帰りました。
その頃は、わりとドキドキしていました。「これはヤバイんじゃないだろうか」と思っていました。さらに、札幌へ向かう機内で志村けんさんの訃報に接して、いよいよ自宅に帰っても心がざわつきました。
「おっかないなぁ」と、何か子どもの頃に感じるような恐怖心があるわけです。これまでも「死ぬと人間はどうなるんだろうか」ということを、いろいろ自分で考えたりはしていたのですが、そんなものはまったく励みになりませんでした。自分で考えているんだけれど、自分でぜんぜん励みにならなかった。役に立たなかったんです。
本当に「死」とは未知のもので、自分に起こらなければわからないのだと思います。でも、それがもう起こってしまっているということは、すでに引き返す道が絶たれているわけでしょう。つまり、死っていう方向に、一方的に進んでいくしかない、そのイメージが怖かったんです。
とはいえ、そのことを誰かに言うわけでもありません。今や、自分にはお父さんもお母さんもいません。お父さんとお母さんが亡くなるという臨終だって自分は見ています。誰に相談するでもなく、しばらく心がざわざわしていました。
そういう時に、女房が録画していた「どうでしょう」を観たんです。どちらかというと女房はこれまで「どうでしょう」を観てこなかった人なのに、急に観はじめたようでした。
放送していたのは「サイコロ6」という、サイコロシリーズの中では一番盛り上がらなかった(と、私なんかは思う)回だったのですが、一緒になって観ていると、不思議と心が和んでいくことに気がつきました。「すげえなあ、『どうでしょう』に慰められたなあ」と感慨深く思いました。
女房も「面白い番組ね」「毎日放送したらいいのに」と喜んで番組を観ていました。本当に不思議な体験です。死に対するなんとも経験のない不安を感じながら、同時に「どうでしょう」を観ているあいだはそのことを忘れてしまう。
未知のものを恐れる一方で、「どうでしょう」に癒されてしまうという、二つの世界が人間の心にはあって、本来、人間は「どうでしょうに癒される」という世界に居るべきなんじゃないのかなって、そんなことを考えるようになっていました。
これまで自分で考えてきたことが役に立たなくなってしまって、今後の世界の中景すら見通せない状況です。新型コロナウィルスと世界のことを考える、その前提にも立てていないような気がします。
それでも、今年の初めにザワザワしていた時と今とでは、考えることも変わってきました。そのことを今から、少しだけ書いてみようと思います。
ある7月の3日間
2020年7月。私は、久しぶりに東京へ向かう飛行機の中に居ました。東京では、さまざまな予定を3日に詰め込んでいます。満員でのフライトは、「ディスタンス」に慣れた私を少なからず驚かせました。
札幌から離れ、会えていなかった人たちに会う。ふだんとは違う緊張もあった7月の3日間は、不思議なことに、自宅で絡まっていた私の思考をほぐしていくことになります。
東京での1日目。私は友人である小松真弓さんが監督した『もち』という映画を観ました。岩手県の一関市を舞台にしたこの映画では、鹿踊(ししおどり)という、民間伝承の芸能が劇中に登場するのですが、太鼓を鳴らして踊っているシーンを観た時に、このコロナ禍にあって、私の気分がたいへんに晴れるという体験をしたのです。
芸能やエンターテインメントというものはこれまで私が思っていた以上に、生活と密接に関わり合っている。いろんな困難を乗り越えるために、その時代の人々は芸能に熱中していたのではないか。そんなことを、今更のように思いました。困難な歴史の数だけ、それに対応して乗り越えるためにお祭りや芸能が生み出されてきて、そのエンターテインメントはずっと日本人の中に残ってきたということなのだと思います。
伝統文化は「がんばって残さなければならないもの」だと思っていました。時代が変わり、社会が豊かになっていけば、残す意味が段々失われて一つずつ消えていくんだろうというふうにとらえていました。そのように解釈をしている私の中には「困難な時代があったからこそエンターテインメントが生まれた」という考えは一つもなかった。
しかし、自分が生まれて初めて困難な時代に直面した今この時に『もち』という映画を通して、芸能やエンターテインメントの持つ役割の、まったく違う一面を感じたように思いました。もし、去年、この新型コロナ騒動よりも前に『もち』という映画を観ていたとすると、まったく違う考え方・受け取り方をしていたと思います。それほどに今の状況というのは、これまでになかったことなのでしょう。
みんなが疲弊しているこの状況で、エンターテインメントは、決して不要不急のものではないはずなのです。むしろ、祈念の踊りや太鼓のように、エンターテインメントに支えられてこそ困難は乗り越えられるのだと思います。
成長するとはどういうことか
2日目は、藤村さんと「野鳥観察」の報告会でした。会場収容の3分の1という人数でしたが、久しぶりにお客さんの前で「水曜どうでしょうハウスにこもって考えたこと」を藤やんとトークしました。
そこで藤やんが提唱したのが「週休3日宣言」。休日を成長するための時間として考え直そうという話です。
「成長する」とはどういうことなのでしょうか。そして、成長するためにはどういうことが必要なのでしょうか。
私にとっての成長とは、「自分という人間が持つ力のままで、大損をしないようになること」です。
新型コロナウィルスが流行する前から、私はこのことを人生の課題としてきました。自慢できるスキルも特別な能力もない自分が、どうやったら大損しないで得をしていくか。対応策を発見して、損をしないようにふるまう。このことを、ずっと考え続けてきました。むしろ、それを考え続けないと、私のような人間はこの社会の中で生きていけないだろうな、という危機意識だけは昔からあったのです。
「オレのありのままで、生きていく。しかも、できれば、いい目を見たい」。ありのままの力に能力をプラスするわけでもなく、自分のパワーはそのままで得をするためにはどういうふうにふるまっていけばいいのか、これは一つの課題としてずっと私の中にありました。そういうことを真剣に考えているあいだは成長は続くんだろうと思います。
藤村さんは、森に入ってサバイバルをしていますが、特別なスキルのない私にとっては、これまでの人生も十分サバイバルです。思い通りにならないことだらけだし、環境を変えるほどのパワーもないので自分が変わるしかない。
それは、私にとっては生きていくための切実な対応だったのですが、世間から見れば自分勝手に見られかねないふるまいだったかもしれません。社内でも「できない」と思った仕事は、正直に「できません」と言ってしまう。それでいて「できないんですけども、作品については考えたいので、口だけ出します」みたいな感じです。
「できることだけに集中します」と言えてしまえるかどうか。これは一つの賭けです。「なんてワガママなんだ」と反感を買うだけかもしれないし、逆に「注力すべきところに注力できる働き方」を少しずつ獲得できるかもしれません。
そういう伸るか反るかの瞬間が積み重なって、今の居場所があるのだと思います。そうして、今までよりも「ありのままで損をしない」ようになってきたら、さらにその成長が、一つの自信と確信になって私を導いてきました。
水曜どうでしょうキャラバンという野外イベントで、炎天下、藤やん以下すべてのスタッフが設営に励む中、ひとりクーラーの効いたバスの中に居る。どうでしょうのロケでは、カメラも回さず運転もせず、ただ「同行した」だけの回もありました。
何のパワーの裏づけもないのに、自信だけは持ってそこに立っていられるというのは、特殊なサバイバルを生きてきた結果なのでしょう。
「こんなに成長しました」というほどの技術も能力もありません。しかし、「ありのままで、ただそこに居る」ということを人前でやる瞬間には、ずっと自分の成長があったと思います。
結局、自分が置かれた環境の中で、自分で考えて、自分で対処してふるまうということをし続ける限り、どのような形であれ、生き物には成長があるのだと思うのです。
考えて考えて「NO」と言う
こういう話をすると、「嬉野さんだから断れるけど、普通の人は仕事を振られて『できません』なんて言えないよ」ということをよく言われます。しかし、私からすれば、「言えないよ」という状況が色濃くあるからこそ、「できません」と言う第一号になる旨味があるんです。
わたしが「できません」の第一号になる時、そこには大きな逡巡があります。「NO」と言ってしまうとサラリーマンとしては損なんだろうな、という一般通念は私も持っています。とはいえ「NO」と言わなければ自分が追いつめられるのは経験から知っているわけです。
今はっきり「できない」と言わないと、自分のキャパシティーを超えた負荷がもたらされる。そういう時に「どのような順番・タイミングで『NO』と言ってのけるか」を真剣に考えます。誰も教えてくれないので、自分で考えなければいけません。
しかも自分にパワーの裏づけがないというのは承知している。とすると、パワーの裏づけがない自分が人前で「NO」を発しても、「この局面を乗り切れるだろうな」という自信が生まれるくらい考えていないと、「NO」とは言えないわけです。「よし、大丈夫」と思えて初めて「NO」を発することができる。「NO」を言わないと損するのが目に見えている状況で、考え続けて、初めて「NO」と言うことができます。そういう時が「NO」と言ってしまって成功するタイミングなのだと思います。
それは険しい道のりでしょう。「この順路で登っていけばこの山道もかなり行けるだろう」と自分で見出す必要があります。しかも、山道と違うのは、各々が別の道を辿る必要があるということです。だから「みなさんこうしてください」「こうしないといけないですよ」と言ったところでどうしようもないと思います。しかし、成長というのはそういう、ごく個人的なものなのです。
自分にとっての困難は、やっぱり自分で乗り越えなければいけない。それがもし正攻法で乗り越えられないのであれば、なにか計略を考えないといけません。
帰る場所としての「どうでしょう」
人生というサバイバルにおいて、戻ってこられる場所があるというのは重要なことです。そういう意味では『水曜どうでしょう』という番組が私にとっての安心材料でした。「『水曜どうでしょう』の嬉野」でいられるというのは、非常にいい場所を得たなという実感があります。こういう場所は、成長にとって必要だと思います。
たとえば子どもを育てる時に、いつか子どもは独り立ちをするでしょうし、一生子どもを守るということはできないわけです。それでも、折に触れて子どもが懐かしく思い出すような故郷があるとか、思い出す父母が居るというふうに、自分の拠り所と思わせるだけの刷り込みを子どもに施してあげておくというのは、子どもに対する親の力だと思うのです。子どもは「あそこに親が居るから」と安心して楽しく遊ぶ。
親元を離れても、イメージとしての親と故郷を安心材料として持っているだけで、非常に生きやすくなるかもしれない。その場所は、故郷に限らず人によって違っていいでしょう。それを考えると、成長するためには「安心できる場所を自分は持っているんだ」と思い込めることが非常に大きな条件になるわけです。
藤村さんが二つの環境やフィールドを持っていることが大事だと書いていますが、私もそう思います。定年したおじさまたちが非常に苦しくなるというのはその点に原因があるのではないでしょうか。それまでは我が家と会社という、プライベートと仕事場の二つの場所があったのに、定年になって仕事を退職してみて初めて、ずっと家に居なければならないという体験をしてしまうわけです。仕事だけをしていても、休んでばかりいても、適切なバランスは欠いてしまう。
ですから、『水曜どうでしょう』という帰ってこられる場所は、私にとっての大切な居場所です。
一旦ピリオドを打つということ
『水曜どうでしょう』のレギュラー放送をしていた頃、やっぱり藤やんが精神的に背負っていた責任は大きかったと思います。それは私が負っているものとは比較にならないだろうな、という実感はありました。
私なんかは、ロケに行って、撮影してっていうぐらいの責任ですから、もっと長くレギュラー放送をやっていても気楽に対応していたでしょう。でも藤やんは屋台骨として『水曜どうでしょう』という作品を支えて、タレントさんとも非常に高度な人間関係を維持し続けないといけない。
今はすっかりミスターとも意気投合しちゃっていますが、鈴井さんと藤村さんでは、お互いが目指していた方向は当初違っていましたから。仲が悪くなったとか、そういうくだらないことではなく、レギュラー放送を続けていくモチベーションの面でも、ある種の限界がきていたことは確かでしょう。
2020年10月から放送される最新作は久しぶりに私がテープをつないでいるのですが、たしかにシーンごとに面白いところはあります。ただ、1本1本を作品にしていくには、そこに文字スーパーで視点を加えないといけません。現場にはなかったもう一つの演出に気づく力がなければ、『水曜どうでしょう』をつくり続けることは無理だなと思うんです。
その役割は藤やんがずっと担っています。そのプレッシャーは、私とはまったく違いますからね。「一回休み」という判断は、それしかなかったと思います。
ふだんの仕事でも、休んでしまうと次がないのではないかということを考えてしまいがちですが、そんなことはありません。一回休んで、また動き出せばいいのです。
還暦を過ぎてからのリモートワーク
出社や出張が気楽にできなくなって、私もビデオ会議を覚えました。やってみたら、これが思いのほか私にはあっていた。
リモートは、実際の会議より「読むべき空気」みたいなものが少ないように感じます。みんな同じ大きさの画面だと、はっきりした意見もないのに感情で押してみたり、目つきだけで睨みをきかせるといったこともできなくなります。すると、ちゃんとしたまとまった話だけが耳に入ってくる。これだけで、以前よりも会議はすぐに終わるようになります。
「わかる、わかるよ、だけどそこをなんとか!」みたいな腹芸をオンラインでやるのは至難の業でしょう。私は、リモートになってから会議が楽しくなりました。
HTBの役員に「藤村とともに一席設けたい」と言われた時も、私は「リモートじゃダメなんですか」と聞きました。あの藤村さんでさえ、「先生、ここは会いましょう!」と言っていました。
『水曜どうでしょう』の本音と建前
リモートワークが進んで、働き方についていろいろなことが明るみになってきたように思います。私の知る限り、会社に居るあいだずっと集中して、生産性を高く保ちながら仕事をしているサラリーマンはほとんどいません。そのことは、上司も部下もみんな知っている。だって、毎日何時間も集中するなんてことは、たいていの人間はできませんから。
なのに、上司の仕事は「お前ら、ちゃんと働いているのか」って監視することになってしまっているし、部下もバレバレの「働いているふり」を続けています。上も下もその建前を維持することだけに腐心して、本来の仕事とは関係のないところで会社が盛り上がってしまっている。まるで「出社さえしていれば、仕事をしていることになる」という免罪符のようです。
もう、仕事をしているという建前を、「せーの」で壊したほうがいいんじゃないでしょうか。「毎日出社はしているけれど、実のところたいしたことはしていない」ということを社内全体で了解して、不要な監視はやめて、バレバレの演技をやめるだけでもずいぶん仕事は減ると思います。
出社しなくてもできることは家でやって、必要のない仕事はどんどん減らして休みを増やしても、業績が悪くなるということはないでしょう。今までが労働時間を「埋めていた」だけなのだとしたら、むしろ健全になると思うのです。満員電車もなくなるし、短い時間で同じ業績を上げることができれば給料も下がらない。
『水曜どうでしょう』は、本音を全部さらした上で、あえて建前の言葉をぶつけ合う、高度なコミュニケーションによる番組です。行かなければならない目的地に「しんどいから行きたくないな」という本音を視聴者にもさらしたまま、あえて「もちろん行きますよぉ」「弱音なんかとんでもない」と建前を交わし合う。
ぼくらや視聴者が、それを聞いて笑ってしまうということは、その世界に共感しているということだと思います。現実世界では、バレバレの本音をないことにして働かされているけど、『水曜どうでしょう』の世界では、建前を笑いとばしている。
現実の働き方においても、一度その本音をさらしてしまえば、楽になれるんじゃないでしょうか。
久しぶりに他人に共感した
さて、3日目。最終日です。その日はYouTubeのスタジオに行く用事があったのですが、その用事終わりで、藤村さんが読売テレビの西田二郎さんと会う予定があったそうで、たまたま居合わせた私も同席することになりました。
最初は二郎ちゃんに会うつもりはまったくなかったのです。「用事は終わったな」と帰る気マンマンでした。でも、この時話せたことは、3日間の中でもとても重要な体験でした。
話題は、いつもと同じでテレビやYouTubeのこと。その中で、ひとりで悶々としていた時にはなかった「他人に共感する」という時間を持てました。西田二郎という人が、新型コロナウィルスをあつかうテレビをどう見ているのか。相変わらずの熱量で盛り上がる二郎ちゃんと藤やんを見ているうちに、自分の中にもふつふつと湧き上がるものがありました。
気がつけば、自分の頭の中だけでは辿り着けなかったような言葉が、湯水のように溢れてくる。「水曜どうでしょうハウスにこもる藤やん」を観察して、考えたことが、自分自身にも興味深いテーマとして展開していく。
久しぶりの体験でした。その瞬間、複雑に絡んだ悩みの糸が、少しずつほどけていくような感覚を味わったのです。
会うつもりではなかった人と話しているうちに、トンネルの出口へ続く薄い光が見えた気がしました。本当に人間は不思議な生き物だと思います。
24年間も一緒に居る藤村さんの行動を見て、自分でそれを解釈していると、いまだに私の中での「ざわざわ」が氷解していくことがある。しかも、そこに西田二郎というもうひとり別の存在がいたからこそ、私は深くものを考えることができたのだと思います。
次元の違う二つの世界
「死」というものは、私にとってはフィクションでした。そこに現実的につながっているという今の状況は、私を大きくぐらつかせました。新型コロナウィルスが蔓延する以前に考えていたことは、自分の思考を引き戻す魅力をもう持っていないように見えました。
でも、この東京での3日間のように人と会い、話していると、たとえば「藤村さんの行動」は、私を以前の思考に引き戻し、さらに考えを進めてくれる貴重なサンプルだと思えるようになりました。
停滞し続けていた思考が、以前のように、動き出す。そのこと自体が、一つの喜びです。不安や恐怖とは違うところで、自分の気持ちも盛り上がっていきます。「まだ進む方法はあるんだ」と、活性化していく自分に気づきました。
私が女房と『水曜どうでしょう』を観て慰められたように、やっぱり人間の中には次元の違う二つの世界があるのでしょう。感染症や死を恐れる次元と、それを忘れるくらい心が和む次元。問題は何も解決されていないのに、心が和む。その世界にぼくは居るんじゃないか、という風景が一瞬見えた気がしました。
「人間としての生活」をそれでも続ける
ウィルスに侵されて症状が発症すれば、自分ごとの苦しみになるわけで、それは恐ろしいことです。しかし、「コロナに侵されて、未知のウィルスが粘膜から細胞の中に入っていく」ということは、私の人生の中では理解や許容のできない、次元の違うイメージだと思うのです。
リスクを避ける行動をするのは大前提です。しかし、それに加えて、自分でイメージできない次元の恐怖にとらわれるのは、生きていく上でとても無理がある、とも思うようになりました。不自然な状態で居ることは、結果的に人生で損をします。
考えてみれば、人間が本来イメージできないような次元にばかりとらわれてしまうこと自体が不自然で、意味がありません。残念ながらウィルスに感染するとか死んでしまうということを100%防ぐことはできない状況で、いたずらに恐怖にとらわれていても安全が保証される訳ではありません。
となれば、感染症のリスクにさらされる不安な状況にあっても、自分が毎日過ごしている「イメージのできる次元」を生きていかなければ、やっぱり人生はきついだろうなと思ったのです。根拠のない楽観はいけないということと同じように、「人間としての生活」という次元を見失ってしまうこともまたよくない。そのことに少しずつ納得できたのかもしれません。
いくら考えてもどうしようもない「死への恐怖」というイメージにとらわれると、たぶん出口がなくなってしまうのです。人類は本来そこの次元には居ないのに、そこに居るように思い込んでしまうと、入口も出口もわからなくなってくる。まだ、うまく言葉にできないのですが、そこは人類が居るべき自然な場所ではないんだろうと思ったのです。
私はステイホームの期間中にとてもリフレッシュしました。還暦を迎えて、どちらかというと感染症へのリスクも高く、「ずっと家に居なさい」と言われたら、「はい」と喜んで返事ができるタイプの人間です。
それでも、リスクがあっても人に会う、街に出るということは、人間の本来居るべき場所、次元なのだと思ったのです。結局、人間は本来居るべき次元の行為を続けるんだ、と。そして、人間の行為の次元の上で、可能な限りリスクから逃れようと考えることは決して怠ってはいけない。
どこかに行きたくなる、誰かに会いたくなる、喋りたくなる、伝えたくなる。結局人間はその次元で生きているんだろうと思います。病や死に侵されるというイメージは、自分が生きている次元とは、別のこと。そういうふうに考えると、自分が絡めとられていた場所の様子が少し見えたような気がしました。
感染症を無視するということではなく、「私にはそれぐらいしかできない」と思ったのです。新型ウィルスのリスクが大きく全人類を覆っているということを認識して、これまでにはなかった緊張感の世界に自分がさらされているということは理解する。その上で、人間はどういうことを求めて、どの次元で生きているのかという「人間としての行為」も自覚する。それだけのことで、私という人間は生きていきやすくなるかもしれないなと思ったのです。
九州に生まれ、東京に出て、北海道に移住してから、初めて冬の雪に埋もれる暮らしを経験しました。それと同時に、春の訪れ、雪解けの喜びも知りました。冬のあいだに持っていた個人的な悩みが、「雪が解けたんだ」っていう、その瞬間の嬉しさに、一瞬忘れさせられる。雪という重しが導いてくれる効能を体験してきたのです。
感染症が世界を覆うまでは、めいめいが落ち込む、くよくよするという状況がずっとあるだけだった。くよくよするだけで「春になったね」と思える瞬間すら与えられなかった。ワクチンが開発される、ウィルスの実態が明らかになる――。新型コロナウィルス感染症にとって、何が「春」なのかも依然としてわかりません。しかし、いつかは「終わったんだね」とみんなで思える瞬間がやってくる。そこまでは、雪に耐える。今は、そんなふうに思って暮らしています。
(「恐れながらも、ただそこに居る。」おわり)
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書籍には、このほかに
・一方その頃…藤村忠寿の「緊急事態」
・水曜どうでしょう2020最新作「4人だけの海外旅」を語る
・藤村×嬉野「緊急2万字対談」
・「藤村さんに宛てた長いLINE」収録。
巻頭16ページ・カラーグラビア付きの永久保存版です。
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2021年も、どうぞよろしくお願いいたします。